Netflix『喧嘩独学』感想|全6話なのに長い。喧嘩より不気味だった「暴力のコンテンツ化」

Netflix実写ドラマ『喧嘩独学』の感想記事用アイキャッチ。スマートフォンを手にした男子学生と、SNS配信・コメント・再生数の演出を通じて、喧嘩がネット上のコンテンツ化していく不気味さを表現した画像。 エンタメ

Netflixの実写ドラマ『喧嘩独学』を見た。

率直な感想を先に言えば、長い。そして、後半はあまり面白くなかった。

全6話しかない。1話も約50分なので、連続ドラマとして特別に長いわけではない。それなのに、見ている途中から妙に時間が進まない。

話数が長いのではない。

物語の密度が薄くなり、同じような展開を繰り返すから長く感じる。

前半の下克上は普通に見られる

主人公の志村光太は、学校では不良にいじめられ、家庭では病気の母親を抱え、金にも困っている。

そんな志村が、偶然配信されてしまった喧嘩動画をきっかけに注目を集める。

喧嘩が再生される。

再生されれば金になる。

そこで志村は、正体不明の配信者「闘鶏」の動画を参考にしながら、体格でも経験でも上回る不良たちへ挑んでいく。

この前半は悪くない。

いじめられていた人間が、自分なりの方法で相手を倒していく。単純だが、下克上ものとして分かりやすい。

殴られて終わりではなく、相手の特徴を調べ、攻略方法を覚え、実戦で試す。タイトルどおり「喧嘩を独学する」という部分も、最初のうちは面白かった。

同じ勝ち方を繰り返すので新鮮味が消える

ただし、基本的な流れは毎回ほとんど同じだ。

強い相手が現れる。

主人公が追い詰められる。

闘鶏の動画で特殊な攻略方法を覚える。

意外な方法で逆転する。

最初は「そんな倒し方があるのか」と見られる。

しかし、何度も繰り返されると、次に何が起こるのか分かってしまう。

主人公自身が格闘家として強くなっているというより、毎回違う攻略法を一つだけ持って戦いに行く。そのため成長の積み重ねが弱く、敵が変わっても同じ話を見ている感覚になる。

面白かった下克上が前半で終わってしまう

さらに後半になると、物語の規模が急に大きくなる。

学校の不良との対決から、格闘技団体、配信業界の裏側、複雑な人間関係へと話が広がっていく。

ところが、僕が見たかったのはそこではない。

弱かった主人公が、独学で覚えた喧嘩を使って不良を倒していく。

この単純な話でよかった。

話を大きくしたことで人物の説明や感情場面が増え、肝心の喧嘩の勢いが落ちてしまった。

ネット上の評価でも、前半の下克上は楽しめたが、後半は話が広がって中だるみした、もっと独学の喧嘩やアクションを見たかったという感想が出ている。

全6話の短い作品なのに、前半と後半で別のドラマを見ているようだった。

一番気になったのは「なぜ暴力を撮影するのか」

このドラマを見ながら、物語とは別に気になったことがある。

なぜ、いじめや暴力をしている人間は、その様子をわざわざスマートフォンで撮影するのか。

殴る。蹴る。人間をサンドバッグのように扱う。

それだけでも犯罪の証拠になるのに、自分たちで撮影して保存する。場合によってはSNSへ投稿する。

冷静に考えれば不思議だ。

ただ、彼らにとって撮影は単なる記録ではないのだと思う。

撮影する行為まで含めて暴力なのである。

動画は支配と武勇伝の証明になる

暴力を撮影する理由はいくつか考えられる。

まず、仲間に見せるための武勇伝になる。

「俺はここまでできる」

「こいつは俺たちに逆らえない」

その場で殴るだけなら、その場にいた人間しか知らない。しかし動画にすれば、何度でも見せられる。

次に、被害者を支配する材料になる。

動画を拡散されたくなければ逆らうな。誰かに相談するな。学校へ来ても黙っていろ。

暴力動画は、被害者をさらに縛るデジタル上の人質になる。

そして、カメラが回っていることで加害者自身も演技を始める。

普通に殴るだけでは足りない。

もっと激しく、もっと屈辱的に、もっと見栄えのする場面を作ろうとする。

SNS時代の暴力は、喧嘩というより撮影会に近い。

暴力がコンテンツになる時代

『喧嘩独学』が現代的なのは、喧嘩が強いことよりも、喧嘩を撮影し、配信し、再生数へ変え、最後には金へ変える構造を描いている点だ。

暴力そのものは昔からある。

テレビも昔から人間へ大きな影響を与えてきた。

女性タレントが着ていた服を見て、同じ服を買う。髪型を見て、同じ髪型にする。

松田聖子さんが人気だった時代には、世の中に「聖子ちゃんカット」があふれた。

人間は昔から、画面の中にいる人間を真似してきた。

だから「作品は作品として見ればいい」「真似する人間が悪い」と言い切るのも、少し都合がいい。

作品や広告が人間へ影響を与えないのであれば、芸能人を広告へ起用する意味もない。ドラマで使われた服や商品が売れることもない。

格好いい部分は真似されるが、危険な部分だけは誰も真似しないという話にはならない。

だから放送してはいけないのか

では、『喧嘩独学』のような作品は作ってはいけないのか。

そこまで言うつもりはない。

暴力を扱う作品は昔からあるし、作品を規制したところで現実の暴力がなくなるわけでもない。

今はテレビ番組を止めても、YouTube、TikTok、X、Instagramなど、いくらでも別の場所から刺激の強い映像が入ってくる。

SNSがある限り、誰かが撮影し、誰かが投稿し、誰かが真似する流れを完全に止めるのは難しい。

結局、いつの時代も同じだ。

昔はテレビの中のスターを真似した。今はSNSで流れてきた一般人まで真似する。

変わったのは、人間の性質ではない。

拡散される速度と、誰でも発信者になれるようになったことだ。

『喧嘩独学』の総評

『喧嘩独学』は、前半の下克上ドラマとしては普通に見られる。

主人公の弱さ、貧困、いじめ、喧嘩配信による逆転という設定も分かりやすい。

ただし、後半は話を広げすぎた。

人物関係や組織の話が増える一方で、タイトルにある「独学の喧嘩」の面白さは薄くなる。

全6話しかないのに長く感じたのは、話数の問題ではない。

前半で面白かったものを、後半で自ら手放してしまったからだ。

そして、作品を見終えた後に残ったのは、主人公が誰を倒したかではなかった。

なぜ人は、他人を殴っている場面を撮影するのか。

なぜ暴力を見世物にし、再生数や金へ変えようとするのか。

ドラマそのものより、現実にも存在するその心理の方が、僕にはよほど不気味に見えた。

まあ、いつの時代も人間は画面の中を真似する。

テレビがSNSへ変わっただけだ。

作品としては前半は見られる。後半は長い。ただし題材だけは、実に今の時代らしいドラマだった。


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