※この記事はNetflixドラマ『ザ・ボローズ』のネタバレ感想を含みます。
『ザ・ボローズ』を最後まで見た。
最初に言っておく。
これは面白い。
正直、見る前は「老人版ストレンジャー・シングス」みたいな感じかと思っていた。
ストレンジャー・シングス制作陣。
老後コミュニティ。
怪異。
時間を奪う何か。
この並びだけ見ると、かなりわかりやすい。
でも、実際に見終わると、そんな単純な話ではなかった。
『ザ・ボローズ』は、若者が怪異に立ち向かう青春SFホラーではない。
昔一世を風靡した俳優たちが、老後の町で、残された時間を奪う怪異に立ち向かう話だ。
ここがいい。
若い俳優の勢いや、派手なアクションで引っ張る作品ではない。
アルフレッド・モリーナ、ジーナ・デイヴィス、アルフレ・ウッダード、デニス・オヘア、クラーク・ピーターズ、ビル・プルマン。
こういう名優たちが集まって、老後コミュニティでじわじわ怪しい出来事に巻き込まれていく。
それだけで楽しい。
そして、序盤はかなり人物紹介に時間を使う。
最初は「これは何が目的なんだ?」「この老後コミュニティは餌場なのか?」「誰が何をコントロールしているんだ?」と、まだ見えない部分が多い。
でも、そこを抜けていくと一気に来る。
後半は怒涛。
目が離せなくなる。
この記事では、『ザ・ボローズ』を「老人版ストレンジャー・シングス」という雑な言葉で終わらせず、名優たちの老後SFホラー総力戦、時間を奪う怪異、そして老後コミュニティという舞台の面白さから斬り込んでいく。
『ザ・ボローズ』は老人版ストレンジャー・シングスなのか
『ザ・ボローズ』を説明するとき、一番わかりやすい言葉はたぶんこれだ。
老人版ストレンジャー・シングス。
たしかに、入口としては間違っていない。
怪異がある。
閉じた町がある。
仲間たちがいる。
普通の生活の裏に、異世界的な脅威がある。
そして、ダファー兄弟が製作総指揮として関わっている。
だから、ストレンジャー・シングスを連想するのは自然だ。
ただ、見終わるとわかる。
ストレンジャー・シングス感は、思ったほど強くない。
これは悪い意味ではない。
むしろ、そこが良かった。
若者の冒険ではない。
子どもたちが自転車で走り回る青春ホラーでもない。
友情と成長を真正面から描くジュブナイルでもない。
『ザ・ボローズ』は、もっと違う。
老い。
喪失。
残された時間。
過去の後悔。
自分の身体が昔のようには動かない現実。
それでも、まだ終わっていない人間たちのしぶとさ。
そこにSFホラーをぶつけている。
だから、「老人版ストレンジャー・シングス」と言えば伝わる。
でも、それだけで片付けるにはもったいない。
序盤は人物紹介。ここを抜けると一気に面白くなる
『ザ・ボローズ』の序盤は、かなり人物紹介に時間を使う。
誰が何者なのか。
どういう過去を持っているのか。
なぜこの老後コミュニティにいるのか。
誰と誰がどういう距離感なのか。
誰が何を隠していそうなのか。
まずはそこを見せる。
だから、最初から怪異が全開で暴れる作品を期待すると、少しゆっくりに感じるかもしれない。
でも、この序盤の人物紹介が後半で効いてくる。
ただの老人たちではない。
それぞれに過去がある。
クセがある。
弱さがある。
でも、経験もある。
若者のような勢いはない。
でも、人生をくぐってきた人間の厚みがある。
この作品は、そこを雑に処理しない。
「高齢者たちが怪異に立ち向かう」という設定を、ただのギャグにしていない。
ここが大事だ。
老いていることを笑いにするのではなく、老いているからこそ背負っているものがある。
失ってきたものがある。
残り時間が見えているからこそ、戦う理由が切実になる。
その積み重ねがあるから、後半の怒涛が効く。
最初の人物紹介がなかったら、あの後半の熱は出ない。
昔一世を風靡した俳優たちが出ている楽しさ
この作品でまず楽しいのは、キャストだ。
昔一世を風靡した俳優たちが、ぞろぞろ出てくる。
これが単純に楽しい。
若手スターを並べた作品とは違う。
画面に出てくるだけで、「この人、まだこんなに味があるのか」と思わせる俳優たちがいる。
アルフレッド・モリーナ。
ジーナ・デイヴィス。
アルフレ・ウッダード。
デニス・オヘア。
クラーク・ピーターズ。
ビル・プルマン。
このあたりの顔ぶれが、老後コミュニティで怪異に巻き込まれていく。
それだけで、普通のSFホラーとは手触りが変わる。
若い俳優なら、走る、叫ぶ、戦う、逃げるで見せられる。
でも、この作品の名優たちは、そういう勢いだけで見せるわけではない。
表情。
間。
疲れ。
諦め。
怒り。
小さなユーモア。
そういうもので見せてくる。
だから、怪異より先に人間が面白い。
ここはかなり強い。
『ザ・ボローズ』は、単に設定で勝負しているのではない。
キャストの年輪で見せる作品でもある。
老後コミュニティは餌場なのか
見ている途中で、ずっと引っかかることがある。
この老後コミュニティは何なのか。
ただの舞台なのか。
それとも餌場なのか。
誰かが意図的に人を集めているのか。
ここにいる住民たちは、守られているのか、それとも飼われているのか。
この「まだわからない感じ」が、序盤から中盤にかけて効いている。
老後コミュニティという場所は、一見すると平和だ。
整っている。
静か。
安全。
暮らしやすそう。
でも、あまりにも整いすぎている場所は、逆に気味が悪い。
『誰かがこの町で』では、新興住宅地の「安全安心」という綺麗な言葉が怖かった。
『ガンニバル』では、供花村と後藤家の血の支配が怖かった。
『ザ・ボローズ』では、老後コミュニティという完成された箱が気になる。
そこは楽園なのか。
隔離施設なのか。
実験場なのか。
餌場なのか。
見ている側は、その正体を探りながら進む。
ここが面白い。
単に「老人たちが怪異と戦う話」ではなく、そもそもこの場所自体が何なのかを疑わせてくる。
時間を奪う怪異が、老後の話と噛み合いすぎている
『ザ・ボローズ』の怪異は、「時間」と関係している。
ここがかなり嫌だ。
若者から時間を奪う話なら、SF設定として見られる。
もちろんそれも怖い。
でも、高齢者から時間を奪うとなると、意味が変わる。
老後の人間にとって、時間は一番重い。
お金よりも、家よりも、肩書きよりも、戻らないものだ。
残された時間をどう使うか。
誰と過ごすか。
何を諦めるか。
何をまだ諦めないか。
そこに怪異が入ってくる。
これは、かなり残酷な設定だ。
怪物がただ襲ってくるだけではない。
人生の残り時間そのものを脅かしてくる。
だから、この作品はただのモンスターホラーではない。
老いと時間のSFホラーになっている。
ここが『ザ・ボローズ』の一番おいしいところだ。
ストレンジャー・シングスより、コクーンや古いSF映画の匂いがある
見ていて思ったのは、ストレンジャー・シングス感はそこまで強くないということだ。
もちろん、ダファー兄弟が製作総指揮に入っているので、そういう期待で見る人は多いと思う。
でも、実際の手触りは少し違う。
若者たちの青春冒険というより、もっと古いSF映画の匂いがある。
老い。
郊外。
怪異。
宇宙的なもの。
人生の終盤に差し込んでくる異常。
この感じは、ストレンジャー・シングスの直系というより、昔のSF映画やミステリーの空気に近い。
だから、期待の置き方を間違えると少しズレる。
子どもたちが怪異を倒す話ではない。
老人たちが、残された時間を奪われないために踏ん張る話だ。
ここをわかって見ると、かなり面白い。
後半は怒涛。目が離せなくなる
序盤は人物紹介。
中盤で老後コミュニティの違和感が濃くなる。
そして後半、一気に動く。
ここからがかなり面白い。
最初に置かれていた人物紹介や関係性が、後半で効いてくる。
「この人はこういう人だったのか」
「だからここで動くのか」
「この組み合わせが来るのか」
そういう楽しさが出てくる。
しかも、名優たちがちゃんと群像劇として機能している。
誰か一人の若い主人公が無双する話ではない。
老後コミュニティにいる人間たちが、それぞれの経験やクセを持ち寄って、怪異に立ち向かう。
ここが熱い。
そして、見ているうちに妙な感情が湧いてくる。
「この人たち、シーズン2まで元気でいてくれ」
これは冗談みたいだが、かなり本音だ。
若いキャストなら、シーズン2やシーズン3を待つのは普通だ。
でも、この作品はキャストが高齢だから、別の意味でハラハラする。
作中の時間だけではなく、現実の時間まで気になってくる。
シーズン2ができるまでに、キャストが死なないでほしい。
失礼な言い方かもしれないが、見終わったあとに本当にそう思ってしまった。
それくらい、このキャストで続きを見たい。
共同体が怖い棚に入るか
このサイトでは、「共同体が怖い」作品を扱っている。
『誰かがこの町で』は、新興住宅地の安全安心が人を縛る話だった。
『ガンニバル』は、供花村と後藤家の血縁・地縁が人を喰う話だった。
では、『ザ・ボローズ』はそこに入るのか。
結論から言えば、入る。
ただし、同じタイプではない。
『誰かがこの町で』のような同調圧力の気味悪さとは違う。
『ガンニバル』のような因習村の圧とも違う。
『ザ・ボローズ』は、もっとコントロールの話に近い。
老後コミュニティという箱。
完璧に整えられた生活空間。
そこに集められた人たち。
そして、時間を奪う怪異。
何が目的なのか。
誰が管理しているのか。
この場所は本当に安全なのか。
そういう疑いが、共同体の怖さにつながっている。
つまり、『ザ・ボローズ』の共同体は、村社会のように露骨に人を縛るわけではない。
むしろ、快適そうに見える。
だから怖い。
ここがこの作品の位置だ。
老人を笑いにしないのが良い
『ザ・ボローズ』で良かったのは、高齢者を単なるギャグにしていないことだ。
もちろん、ユーモアはある。
クセの強い会話もある。
年齢をネタにした軽さもある。
でも、作品全体としては、老人たちを笑いものにはしていない。
むしろ、彼らだからこそ戦えるように描いている。
若いから強いのではない。
人生をくぐってきたから強い。
失ってきたから強い。
残り時間を意識しているから強い。
ここが良い。
「もう年だから終わり」ではない。
「まだ終わっていない」でもない。
もっと正確に言えば、終わりが見えているからこそ、今やるしかない。
その切実さがある。
だから、ただの老人チームものでは終わらない。
老後のヒーローものとして、かなりちゃんとしている。
この作品はシーズン2が見たい
『ザ・ボローズ』は、見終わるとシーズン2が見たくなる。
ここは大事だ。
最近の配信ドラマは、最後に謎だけ残して「はい続きは次で」とやる作品も多い。
そういう引き延ばし感が強いと、見ている側は冷める。
でも『ザ・ボローズ』は、少なくともこのキャストでもう一度見たいと思わせる。
この老後コミュニティで、また何が起きるのか。
この人たちは次にどう動くのか。
この世界の正体はどこまで広がるのか。
そこが気になる。
そして、さっきも書いたが、変な意味で現実の時間も気になる。
シーズン2ができるまでに、キャストが死なないでほしい。
この感想はかなり失礼かもしれない。
でも、『ザ・ボローズ』という作品の本質に妙に合っている。
このドラマは、時間の話だからだ。
作中でも時間が奪われる。
キャラクターたちにも残された時間がある。
そして、見ているこちらも、現実のキャストの時間を意識してしまう。
そこまで含めて、この作品は面白い。
まとめ:『ザ・ボローズ』は名優たちの老後SFホラー総力戦だった
『ザ・ボローズ』は、老人版ストレンジャー・シングスという言葉で説明できる。
でも、それだけで終わらせるにはもったいない。
実際に見終わると、ストレンジャー・シングス感はそこまで強くない。
むしろ、老後コミュニティを舞台にした、名優たちのSFホラー総力戦だった。
序盤は人物紹介。
そこは少しゆっくりに感じるかもしれない。
でも、後半に入ると怒涛。
目が離せなくなる。
昔一世を風靡した俳優たちが、老いと時間と怪異に立ち向かう。
この構図が強い。
老後コミュニティは餌場なのか。
誰が何をコントロールしているのか。
時間を奪う怪異は何を意味しているのか。
そういう謎を追いながら、最後にはキャストそのものに愛着が湧く。
だから面白い。
『誰かがこの町で』の新興住宅地。
『ガンニバル』の供花村。
そして『ザ・ボローズ』の老後コミュニティ。
場所は違う。
でも、どれも人間が集まる場所の気持ち悪さを描いている。
『ザ・ボローズ』は、その中でも少し明るく、少し楽しく、でも時間という残酷なテーマを抱えた作品だった。
結論。
これは普通に面白い。
そして、シーズン2があるなら絶対に見たい。
できればその時まで、キャスト全員元気でいてほしい。
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視聴棚
『ザ・ボローズ』はNetflixで配信されている。
最新の配信状況は、Netflix公式で確認してほしい。
この作品は、設定だけ読むより映像で見た方が早い。
老後コミュニティの空気、昔一世を風靡した俳優たちの顔、そして後半の怒涛。
そこは文章より、実際に見た方が伝わる。



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